1915年10月17日、タイちゃんこと殿山泰司は、銀座の“おでんお多幸”の長(zhǎng)男として生まれ、36年、俳優(yōu)となった。36歳の時(shí)、タイちゃんは京都の喫茶店“フランソワ”のウェイトレス、キミエと出會(huì)い相思相愛(ài)の仲になる。ところが、彼には既に鎌倉(cāng)に內(nèi)縁の妻?アサ子がいたのだ。タイちゃんは、女優(yōu)のオカジこと乙羽信子を介してアサ子に別れ話(huà)を持ち出すが、逆にアサ子はタイちゃんに黙って婚姻屆を出し、養(yǎng)女まで迎えてしまう。しかし、東京でタイちゃんと同棲を始めたキミエも負(fù)けてはいない。対抗心をむき出しにして、兄の息子?安夫を養(yǎng)子に取ったのだ。こうして、たちまち二児の父親になってしまったタイちゃんであったが、仕事では「愛(ài)妻物語(yǔ)」「裸の島」といった素晴らしい作品に恵まれ、しかも「人間」では數(shù)々の賞に輝いた。その後、肝硬変、母の死、子供たちの結(jié)婚、浮気事件、様々な出來(lái)事を経て、古希を迎える年となったタイちゃん。選り好みせず仕事をしてきた彼だったが、このところめっきり仕事の依頼が減っていた。ところが余命半年の診斷を受けた時(shí)、皮肉にも3本の仕事が舞い込んでくる。そして、堀川弘通監(jiān)督の「花物語(yǔ)」への出演を終えた直後の1989年4月30日、ジャズとミステリィをこよなく愛(ài)した三文役者?タイちゃんは、キミエに看取られながら他界した。